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書評:中澤英雄『カフカとキルケゴール』(オンブック、2006)――驚異のカフカ解読
2012/02/15 10:12

 つい1カ月余り前にミラン・クンデラの『裏切られた遺言』を読み、内心これは画期的なカフカ論ではないかと感銘を受け、それに触発されて2つの雑文を書いた(「カフカの「遺言」について」2012年1月7日、「カフカの読まれ方」2012年1月10日)。ところが、わずか1カ月余りで、その感想を全面撤回しなければならなくなった。最近読んだ中澤英雄氏の『カフカとキルケゴール』がその原因である。もっとも、本書の中では『裏切られた遺言』は軽く触れられているだけだが、そこで参照指示がなされている同氏の論文「通俗的伝説の再論――ミラン・クンデラのカフカ/ブロート論について」(東京大学教養学部『外国語科研究紀要』第43巻第1号、1995年。この論文を含め、同氏の論文の大半は同氏のHP「中澤英雄の論文収蔵庫」http://deutsch.c.u-tokyo.ac.jp/~nakazawa/からダウンロードできる)を読んで、その説得力に感服するとともに、クンデラのカフカ/ブロート論が事実の一面的な誇張と単純化・歪曲化により通俗的なカフカ伝説を再論強化するものでしかないことを納得せざるを得なかった。しかし、ここでは中澤氏の『カフカとキルケゴール』を紹介することが目的なので、この極めて興味深いクンデラ批判については割愛せざるを得ない。

 著者の中澤英雄氏について、私は本書を読むまで全く知らなかったのだが、その点は、私が文学には全くの門外漢であるため、お許し願いたい。本書奥付を見ると、東京大学大学院総合文化研究科教授(言語情報科学専攻)とある。そして著者HPを見ると、ドイツ文学、なかでもカフカ研究者であることがわかる。しかし何よりも本書を読めば、著者がクンデラのような大作家の文学的想像力をはるかに凌駕する第一級のカフカ研究者であることがはっきりとわかる。

 本書は「カフカとキルケゴール」というタイトルであるが、カフカ論とキルケゴール論ではなく、あくまでもカフカ論である。カフカが1917年から20年にかけて熱心に読んだキルケゴールをどのように解釈したのかを、当時の日記と友人たち、とりわけブロートとの手紙のやりとりにおいて交わした会話を手掛かりに綿密に読み解くことを通じで、カフカの難解なアフォリズムに込められた真意が鮮やかに立ち上がる画期的なカフカ論であり、知的興奮の書である。

 私にとってカフカは難解な作家であるが、一般に長編よりも短編、短編よりもアフォリズムや断章といった風に、作品が短くなればなるほど難解さの度合いは増す。しかしこのことは私一人の問題ではなく、おそらく誰にとってもそうだと思われる。クンデラは前掲書の中で、文学の自律性、作品の独立性を擁護し、作品の内在的理解の重要性を主張した。私も小説については、それでいいと思うし、そうあるべきだとも思うのだが、アフォリズムのような断章をその作品それだけで理解しようとするのは、カフカの場合、ほとんど不可能だと思う。やはり中澤氏をはじめとする多くのカフカ研究者が行ってきた、伝記的事実の正確な考証抜きに、自分勝手な想像力を働かせたところで、カフカの意図を見抜くことはまずできないだろう。一例を挙げよう。カフカの八折判ノートH(カフカが使用した八折判と呼ばれるノートは8冊残されているが、それらは後世の学者により、年代順にAからHの記号がつけられている)の最後から6番目には次のようなアフォリズムが記されている。

<それはちょうど、普遍と個の間の往来が現実の舞台で行われるのに対して、普遍的なるものの中での生は、ただ舞台背景の書き割りに描かれるようなものだ。>

 このアフォリズムに対する中澤氏の解釈については後述するが、これだけを読んで、カフカの真意を理解できる人はいないだろう。カフカのアフォリズムの大半は、八折判ノートのうち最後の二冊GとHに記されているが、これらが執筆されたのは1917年10月18日から1918年2月27日までの期間であることがわかっている。カフカは5年間付き合っていた恋人のフェリス・バウアー(これまで日本ではドイツ語読みで「フェリーツェ・バウアー」と呼ばれていたが、中澤氏によれば、Feliceはフランス語風に「フェリス」と発音するという)と1917年7月に二度目の婚約をするが、その直後の8月中旬、喀血を起こし、肺結核と診断され、フェリスとの(2度目で最終的な)婚約解消を決意する。そして、9月12日から翌年4月末まで妹オットラが暮らすチューラウの農場で静養生活を行っているが、八折判ノートGとHはすべてこのチューラウで書かれている。したがって、中澤氏によれば、チューラウで書かれたアフォリズムは、「結核の発病と婚約の解消という人生上の「敗北」に直面して、カフカが「救済」を求めて行った省察の産物」として位置づけられることになる(本書52頁)。そのことを中澤氏は、1917年11月20日のカフカのブロート宛ての手紙や、後に(1920年6月)カフカがミレナに送った手紙や、当時のブロートの日記(1917年12月26日)に記されたカフカの言葉などによって論証している。そして、このチューラウ滞在中の1917年11月頃から1918年2月にかけて、カフカはキルケゴールの著作に集中的に取り組んでおり、2月27日には8編のキルケゴール・アフォリズムを書いているが、これらのアフォリズムは主としてキルケゴールの『おそれとおののき』に対する批判になっているという。しかし、本書を読まない限り、八折判ノートHの最後の8編のアフォリズムを読んだだけでは、それがキルケゴールの『おそれとおののき』に対する批判を意図したものであることなど、到底わからないだろう。

上に引用したアフォリズムはキルケゴール・アフォリズムの第3番目に位置するものである。中澤氏はこれら8編のキルケゴール・アフォリズムをすべて解読しているのであるが、それをすべて紹介するわけにもいかないので、先に引用したアフォリズムの解釈だけを紹介したい。中澤氏によれば、人間は「普遍的なもの」=「真理」の中での安らぎを求めるが、実際にはそれは実現できず、「舞台背景の書き割りに描かれる」、まさに「絵に描いた餅」に終わらざるを得ず、現実に生じるのは「個と普遍の間の往ったり来たり」という安らぎのない往復運動である。なぜなら、「普遍的なものの中での生」は理論的・抽象的にしか可能ではなく、現実には人間は、「普遍」と「個」(現実)の間に引き裂かれたダブルバインド状況を生きなければならない。中澤氏によれば、このアフォリズムはそのようなカフカの認識を示している、というのである。もちろん、これら8編のアフォリズムは相互に連関しているうえ、中澤氏の詳しい説明をここでは省略しているので、これだけではなぜそう解釈できるのかよくわからないかもしれないが、疑問や興味を持たれた方は是非とも中澤氏の著書を直接参照頂きたい。

本書は、カフカのアフォリズムが、フェリスとの婚約解消、ユーリエとの婚約とその解消、ミレナとの恋愛といった個人的体験への反省も契機としつつ、マックス・ブロート、フェーリクス・ヴェルチュ、オスカー・バウムという「四者同盟」と彼らが呼んだ友人同士の文学作品や哲学的著作をめぐる討議と思索を通して、ユダヤ教の伝統を喪失し、キリスト教世界の中で生きなければならない西ユダヤ人の共通の問題、とりわけ彼が「究極の事物」と呼んだ人間存在の根本に関わる重要問題をめぐって行った哲学的思索の表現であったということを、異様な説得力を持って論証した書物である。ブロートは、確かにクンデラも批判していたように、カフカの原文に対して許し難い改竄と独断的解釈を行ったとはいえ、クンデラの言うような単なるカフカの「付録」などではなく、西欧文明に同化したドイツ語を母語とするユダヤ人としてカフカと同じ困難な問題に直面し、カフカと忌憚のない意見を交わし、相互に影響を与えあった一人の作家であり、さらに宗教哲学者であった。しかしそのブロートでさえ、最終的にはカフカのキルケゴール論を理解できなかったばかりでなく、「その後、カフカのアフォリズムや手紙を読んだ数多くのカフカ研究者も批評家も誰一人として正しく理解できなかったのである」と中澤氏は言う(216頁)。本書は、その「誰一人として正しく理解できなかった」カフカのキルケゴール論を正しく理解しようとした極めて野心的な試みなのである。

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